FIRE後に何をしようか。FIRE後にやりたいことは何か。 これはFIRE活動開始以降の約5年間、ずっと考えていたテーマでした。
せっかく時間ができるのだから、新しいことを始めたい。 何か社会の役に立つことかもしれないし、少額でも稼ぎになる活動かもしれない。 そんなことを考えながら、いろいろ調査したり想像したりしていました。
でも結局、最後に残ったのは昔からずっと当たり前のように続けていたゲームでした。 子どもの頃から40年以上、気づけば人生で一番長く続いている趣味です。
今振り返ると少し不思議です。一番の趣味なのに、なぜもっと早く気づかなかったのだろう。
答えはずっと目の前にあった
ゲームは毎日のようにやっていました。 忙しいときも、受験の年も、仕事がしんどかったときも、結婚式の準備に追われてプレッシャーだったときも、 リーマンショックで大損失を喰らったときも、自然と戻っていたのはいつもゲームでした。
それなのに、FIRE後にやりたいことを考えるとき、最初は候補にすら入っていませんでした。 もっと何か今までやってないこと。もっと意味のあるもの。 そういう方向ばかり探していた気がします。
後になって知ったDoingモードという考え方
マインドフルネス関連の本を読んで、「Doingモード」と「Beingモード」という考え方を知りました。
Doingモードは目標達成のために行動する状態です。 今と目標の差を埋めようとする。 役に立つか、成果につながるか、生産的か。 そういう基準で物事を判断します。
一方のBeingモードは、今そのものを味わう状態です。 結果や意味よりも、体験そのものに価値を感じます。
正直、この本を読んだ当時は、自分とはあまり関係ない話だと思っていました。 ところがFIREが近づいてきて、FIRE後のことを考えるようになった今になって振り返ると、まさに自分が陥っていた状態だったのだと腑に落ちました。
FIRE準備はDoingモードの連続だった
考えてみれば、FIRE準備そのものがDoingモードの塊です。
目標資産額を決める、資産状況を管理する、投資戦略を考える、不足分を埋める。 日々ずっとそんなことを考えていました。
そして、その思考のクセはFIRE後の人生を考えるときにも続いていました。 何をするべきか、何が稼げるか、何なら意味があるか。 そんな視点で探していたから、ゲームは候補から外れていたのです。
ゲームは役に立たない無駄なもの。だからこそ好きだったのに。
なぜいつもの趣味が候補にすら入らないのか
Doingモードのフィルターを通して見ると、毎日の趣味は「ただの気晴らし」に映ります。 やりたいことを探す思考の枠組みに、最初から入れてもらえないのです。
これにはいくつかの心理的な仕組みが重なっています。
ひとつは「生産性バイアス」です。 楽しいだけで生産性のないことに時間を使うのは、なんとなく後ろめたい。 そういう感覚が、長年の社会人生活の中で深く染み込んでいます。
もうひとつは「快楽順応」です。 毎日当たり前にやっていることは、脳にとって「特別なこと」ではなくなります。 ドキドキするような新鮮さがないため、「夢や目標」の候補として思い浮かびにくくなります。
そして最後に、趣味が「安全地帯」として守られてきたことの裏返しがあります。辛いときに心を保ててきたのはそのおかげですが、目標を探す思考は「タスク側」で動くため、安全地帯に置いてきた趣味は自然と候補から外れてしまうのです。
もしもっと早く気づく方法があるとしたら
今だから思うのですが、「これから何をやりたいか」よりも、「今まで何をやり続けてきたか」を見た方が、気づくのは早かったはずです。
次の問いを、自分に投げかけてみると何か見えてくるかもしれません。
- 人生で辛かったとき、自分を支えてくれたのは何か。
- 誰に評価されなくても、お金にならなくても続けていることは何か。
- 時間が空いたとき、自然と手が伸びるのは何か。
本当に好きなことなら、探さなくても既にやっているはずなのだから。
FIRE後のやりたいことは、新しく見つけるものだと思っていました。でも実際には、あまりにも当たり前すぎて見えなくなっていただけでした。
何十年も消えずに残り続けたもの。それが、自分にとって本当に大切なものだったのかもしれません。
もし迷ったときは、「これから何を始めるか」ではなく、「昔から何度も戻ってしまうものは何か」を振り返ってみる。答えは、ずっと前からすぐそこにあるのかもしれません。


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