好きなことを仕事にしなかったら、最後まで好きでいられた

FIRE準備

FIREについて語られるとき、セットのように出てくる言葉があります。

「好きなことを仕事にして自己実現しよう」 「お金のためではなく、やりがいや好きを追求して働こう」

この考え方は、ある種の正解として扱われているように見えます。 ただ、自分はずっとこの言葉に小さな違和感を覚えてきました。なぜなら、両者はトレードオフの関係にあると思っているからです。

Hodoは資産形成フェーズを終了し今は資産運用フェーズに入っています。気持ち的には安定した日々を過ごしており十分に幸福です。「何者かになりたい」という欲求もありません。むしろ「もう十分やりきった」という感覚しかなく、FIRE後に無理に新しい目標を上書きすることは考えていません。

今回は、なぜ自分が「好きなことを仕事にする」ことに慎重なのか。その理由を、過去の失敗や経験から書いてみます。

ranking

クリックよろしくお願いします!いつも励みになっております♪
にほんブログ村 その他生活ブログ FIREへ

夢を諦めたのではなく勘違いだった学生時代

原点は学生時の就職活動まで遡ります。 当時、Hodoはゲームが大好きでした。今現在も大好きですが、当時はその延長で「ゲーム好きだから、ゲーム会社に就職しよう」とずっと考えていました。就職活動の動機としてはこれ以上に無いほどシンプルですね。

しかし、就職担当の教授との面談があって、現実を突きつけられることを言われました。「君には(いわゆる普通の)一流企業に行ってもらわないと困る」「ゲーム会社なんて若い時しか務まらないよ」 当時は就職氷河期で、大学側も学生を一人でも安定した企業に就職させようと危機感を覚えていた時代です。多くの学生と面接をしている教授は、すぐにHodoが何も考えていないということは見抜いたことでしょう。 そして、当時の自分はこれを真剣に受け止め、一晩悩み抜いた末、最終的には普通の企業へ就職することを決意しました。

今振り返って冷静に分析すると、もしあのままゲーム会社を受けていたとしても、たぶん通らなかっただろうと思います。 当時は就職氷河期真っ只中。採用枠は極めて少なく、企業側も即戦力や圧倒的な熱量を求めていました。そもそも希望のゲーム会社が募集してたのかも調べてませんでした。

対して自分は、就活対策もろくにせず、クリエイティブな会社なのにポートフォリオの一つも作っていませんでした。一般企業であれば、学業や大学での研究が武器になるでしょうが、ゲーム会社ではそうはいきません。好きという気持ちだけで、手ぶらで挑もうとしていたのです。 仮に運良く入社できていたとしても、ゲームを作ることに強い情熱を持った人たちとの温度差に苦しんでいたはずです。

あの時の選択は、夢を諦めたのではなく、勘違いに気づいた瞬間でもありました。 自分は「(他人が楽しむための)ゲームを作りたかった」わけでも「売りたかった」わけでもない。ただ純粋に「面白いゲームで遊びたかった」それだけなのです。自分が遊ぶためのゲームだったら作りたかったかもしれませんが、自分以外のためというモチベーションは無かったです。

安全地帯の確保

普通の企業で働き、好きなことを仕事にしなかったおかげで、自分にとってゲームは最後まで安全地帯として残りました。

安全地帯というと大げさかもしれませんが、自分にとっては生きるために必要な「回復装置」であり、心理的な「逃避先」でした。

仕事では常に、成果、評価、納期、人間関係といったようなプレッシャーがつきまといます。 しかし、趣味としてのゲームの時間はそういったものがありません。自分がどう感じるかだけです。 誰からも評価されず、成果も求められず、生産性も問われない。ただ没頭し、心を回復させるためだけの場所。

もし好きなことを仕事にしていたら、この安全地帯は消滅していたはずです。 趣味が仕事になった瞬間、そこに「成果」や「売上」という目的が発生し、純粋な没頭対象が他者評価の対象に変わってしまいます。

これは人生のリスク分散として、あまりいい形とは思えません。 仕事と趣味を同じ対象にしてしまうと、その分野で失敗したとき、収入と心の支えを同時に失うことになるからです。

先読み思考による期待値の上昇

人間の幸福感は「現実の成果 - 事前の期待値」でかなり左右される気がします。

特に投資をやっている自分たちのような人間は、無意識に先読みし織り込みする癖がついています。 「好きなことを仕事にする」ということは、開始前から高い期待値を設定してしまうのです。「好きなことなのだから楽しいはずだ」「気持ちも満たされるはずだ」と。

期待値が高い状態でスタートすると、現実は厳しくなります。 本来なら楽しいはずの作業が「義務」になり、ちょっとしたトラブルが「想定外の損失」として処理される。 投資思考が強いほど、「好きなことの仕事化」は幸福度を下げる要因になり得ると感じます。FIREを目指すような人は、投資脳ができてるでしょうから、この傾向は通常よりはずっと強いです。

逆に、「嫌いじゃなければOK」くらいの距離感で仕事をすれば、期待値は低くなります。 その結果、小さな達成感でも満足できたり、安定した精神状態で続けられたりします。「好きじゃない仕事」のほうが案外長く続くのは、この期待値のコントロールが効いているからでしょう。

FIREするのに好きを仕事にする矛盾

また、好きを仕事にすることは、FIREを目標にしている人にとってはいくつかの矛盾を孕んでいます。 FIREのREとは「早期リタイア」を意味し、仕事という役割から降りることが前提です。 一方で、好きなことを仕事にして仮にうまくいった場合、その仕事はやめにくくなり、結果としてFIREから遠ざかる可能性がある。 また、仮にその仕事を手放せたとしても、仕事=自己認識になっている場合、FIRE後のアイデンティティ喪失は、通常より大きくなりやすいです。

その意味で、仕事は「好きでもないが、致命的に嫌いでもない」程度にとどめ、 割り切ってライスワークとしてドライに扱う方が、FIRE時のショックが少なく、精神的にはむしろ安定するケースの方が多いだろうと推測しています。

好きなことを人質にしない

もちろん、好きなことを仕事にして、高い熱量で成果を出し、幸福に生きている人もたくさんいると思いますし、それを否定するつもりは全くありません。それは究極の理想形であり、素晴らしい才能です。

ただ、自分の場合は合わなかった、おそらく好きで成功できるには高い才能・適性が必要であり、特別なものがない自分には不可能だったと推測します。

FIRE後も、「やりたいことリスト」を作って無理に自分を追い込んだり、好きなことで収益化しようとしたりする必要はないと考えています。 リスト化した瞬間に、それは「消化すべきタスク」になり、楽しむという本来の目的から遠ざかってしまうからです。

自分にとっての「好きなこと」は、誰からも評価されなくていいし、成長しなくていいし、生産性がなくていい。 投資家視点で言えば、無リスク資産(リターンも無い)として、大切に手元に残しておきたいものです。

好きなことを仕事にしなかったからこそ、好きなものを好きなままでいられた。 もちろん、これは結果論に過ぎないのですが、自分にとっては非常に合理的な、人生のリスク分散だったと感じています。


最後まで読んで頂きありがとうございます♪ よろしれけば応援クリックおねがいします!
にほんブログ村 その他生活ブログ FIREへ
FIRE準備
スポンサーリンク
Hodoをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました